清末藩人物録

清末藩
       1万石 清末毛利家 清末陣屋

清末藩は、第4代長府藩主毛利綱元が、叔父の毛利元知に1万石の分知を与えて立藩した支藩で、長州藩から見れば孫藩に当たる。
8代藩主毛利元純は、本家の長州藩主毛利敬親の名代として働き、他支藩と共に動乱の幕末期の長州藩を支えた。


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あ行


伊木 均

いき ひとし
(1826-1876)
清末藩

清末第一の事務家
弘化3年、清末藩士渡辺某の三男に生まれる。武事講究に務め藩の要路に列し、片見小次郎ら同志と共に国事に奔走する。文久3年の八月十八日の政変では、久坂玄瑞らと協議して、七卿の長州下向を実現させた。慶応2年の幕長戦争では石州戦争に従軍し、占領地の行政に意を尽くす。明治2年、清末藩権大参事に任命された。仕官より版籍奉還に至るまで精励事に当たり、清末第一の事務家と称された。明治7年、山口県庁の出納課長に任命される。明治9年、死去。


変名:渡辺興三左衛門
主な役職:清末藩権大参事、山口県庁出納課長
剣術:-
墓所:下関市阿内 専念寺


小笠原 武英

おがさわら たけひで
(1846-1911)
清末藩

育英隊を率いたのちの宮中顧問官
弘化3年、長府藩士福原某の二男に生まれ、清末藩士小笠原藤平の養嗣子となる。文久3年、清末藩主毛利元純に従い上洛。八月十八日の政変後の七卿落ちでは、七卿に随伴して帰国した。慶応2年の幕長戦争では、清末藩育英隊を率いて石州口に従軍。大村益次郎の指揮下で奮戦している。戦後は占領地の石見の治安に努めた。明治5年、宮内省に出仕。皇宮警察署長や主殿頭を務めた。明治44年に宮中顧問官となるが、同年死去した。


変名:福原省三
主な役職:育英隊隊長
剣術:-
墓所:-


か行


片見 小次郎

かたみ こじろう
(1822-1887)
清末藩

伊木均と共に国事に奔走した清末藩士
文政5年生まれ。清末藩江戸屋敷邸監として江戸に勤務し、内外の多事を見て国難を憂う。文久3年頃に帰国して、伊木均と共に藩政改革を推進。藩主を補佐し、宗藩や各支藩を往復して国事に奔走した。明治20年、死去。


変名:
主な役職:清末藩江戸屋敷邸監
剣術:-
墓所:-



さ行



た行



な行


内藤 忠太郎

ないとう ちゅうたろう
(1841-1915)
清末藩

幕末清末を牽引した清末藩主席家老
天保12年、清末藩家老内藤蔵人長男として生まれる。藩家老として海防要所に出役。文久3年、清末藩主毛利元純に従い上京するが、八月十八日の政変で七卿に随伴して帰国した。下関戦争では長府黒門に出陣する。幕末清末藩の家老として、長州各藩や幕府方との調停役として奔走。第一次長州征伐の際には芸州に赴いている。慶応2年、幕長戦争では清末藩兵を率いて石州戦争に参加した。明治2年、清末藩大参事に就任。明治4年、死去。


変名:内藤純峯
主な役職:清末藩家老
剣術:-
墓所:-



は行


広井 良図

ひろい りょうと
(1827-1903)
清末藩

下関の教育に多大な貢献をした教育者
文政11年、清末藩士広井良介の子として生まれる。幼少より明敏さをうたわれ、藩選で宗藩の藩校明倫館に学ぶ。清末に帰ると藩主近習となるが、許しを得て美濃や安芸など各地を遊学して学問を高めた。元治元年より藩命で江戸に出るが、慶応2年の幕長戦争が勃発すると幕府方に捕えられた。明治元年に釈放され、地方行政官の任を務め、豊浦中学校や、小月小学校、竹崎小学校の運営にも参加する。明治10年、赤間関学区取締に就任。下関の教育に携わった。公職引退後は、私塾を開設。また、赤間関商業学校、豊浦中学校の教壇に立った。明治36年、死去。


変名:広井少吉、広井進修斎、子重、硯湾、赤水
主な役職:育英館会頭、赤間関学区取締、硯湾学舎主宰
剣術:-
墓所:

船越 清蔵
ふなこし せいぞう
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ま行


村上 倫

むらかみ りん
(1840‐1889)
清末藩

激動の幕末長州を奔走した清末藩士
天保11年、清末藩士村上某の子として生まれる。冷静沈着知略ありと称され、清末藩より選ばれて宗藩の藩校明倫館に学んだ。文久3年、下関で攘夷を決行すると聞いて光明寺党に参加し、前田砲台の建設に従事した。8月18日の政変の際は京都にあり、藩主毛利元純と共に七卿を奉じて帰国する。元治元年、同志と共に長州藩世子毛利元徳に攘夷を建白。慶応元年、長州内訌戦や対馬藩内訌で調停の為に奔走する。慶応2年の幕長戦争では、石州戦争に参加した。維新後は藩校育英館の会頭として子弟の育成に尽力。後に藩主に従い東京に出た。明治23年、死去。


変名:村上恕八郎
主な役職:育英館会頭
剣術:-
墓所:-


毛利 元純
もうり もとずみ
(1832-1975)
清末藩

毛利本家の名代として働いた孫藩藩主
天保3年、豊後日出藩主木下俊敦の四男として生まれる。嘉永2年、第7代清末藩主毛利元承が早世したため、その養子となる。嘉永4年、第8代清末藩主に叙任する。本家の長州藩主毛利敬親の名代として働き、下関の攘夷戦で萩本藩、長府藩とともに参戦。慶応2年の第2次長州征伐には、大村益次郎と協力して石見浜田藩の軍勢を打ち破った。明治2年の版籍奉還で藩知事となり、明治4年の廃藩置県で免官された。明治8年に死去。


変名:木下銀三郎、毛利銀三郎
主な役職:8代清末藩主
剣術:ー
墓所:下関市清末高林寺


や行



ら行



わ行



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