高杉晋作像

高杉晋作像/晋作が愛した下関(彦島/下関駅周辺/唐戸/長府/吉田/その他)/晋作が生まれ育った萩/新しい政治拠点山口/その他

贈正四位高杉晋作君銅像
下関の関門海峡が望める日和山公園に立つ高杉晋作像です。銅像と書かれていますが、銅像ではなく備前焼の像です。本来は昭和11年に銅像として建てられましたが、戦時の金属不足から接収されて失われました。戦後の昭和31年に、没後90年を記念して備前焼の陶像として再び建立されました。晋作像の中でも一番大きく、備前焼の陶像としての大きさも日本一です。残念ながら、付近に駐車場が無く高台にあるためか観光客は少なく、市民が散歩に訪れる程度である。
場所:下関市丸山町5丁目 日和山公園

高杉晋作回天義挙像
回天挙兵の舞台功山寺にある高杉晋作像です。兜を頸に掛け紺糸威の小具足に身を固め、馬に跨り颯爽と手綱を引くその姿は、今にも動き出しそうです。昭和48年、実業家西山音治氏によって建立され、国宝である仏殿や下関市指定文化財の山門と共に、功山寺のメインスポットとなっています。
場所:下関市長府川端1丁目2-3 功山寺
高杉晋作陶像
昭和31年、高杉晋作90回忌に金属供出で失われた日和山の高杉晋作像を、備前焼の陶像として再建する際に造られた試作原型の1つが、晋作の眠る東行庵に建てられました。長い刀を左手に持ち、長刀を好んだ晋作がよく表現されています。日和山の陶像は斜めに構えて、今にも動き出しそうな感じですが、こちらの晋作像はまっすぐ立っています(少し顔は左を向いてます)。高い位置に立っており、日和山の陶像より小ぶりですので、迫力では日和山の晋作像に劣りますが、晋作が眠り、奇兵隊の隊士が数多く眠るこの地にあることが重要な事です。
場所:下関市吉田1184 東行庵
風の予言者 高杉晋作と奇兵隊
高杉晋作の生誕170周年を記念して、志士の杜推進実行委員会が建立したブロンズ像です。下関市出身の彫刻家M野邦昭氏の作品で、通常の偉人の銅像というより、現代彫刻として奇抜なデザインです。流れていく歴史の雲をつかみ取る高杉晋作を、奇兵隊士に見立てた岩が支える様子を表現しているそうです。この像のある竹崎公園から豊前田商店街に入れます。ここは下関一の歓楽街で、幕末には花街があったそうです。
場所:下関市竹崎町1丁目17 竹崎公園 
高杉晋作胸像 晋作通り
竹崎公園から豊前田商店街を抜けて細江公園前までたどり着くと、右手に杯を持つ晋作の胸像が現れます。この通りは地元活性化のため晋作通りと名づけられています。杯を持ち上機嫌な表情は、そこの階段を上った日和山公園にある晋作像の険しい表情との対比が、なんとも可笑しいですね。
場所:下関市細江町1丁目9
青春交響の塔
下関での坂本龍馬と高杉晋作の友情と維新の志を表すモニュメントとして建てられた青春交響の塔に、龍馬と晋作のレリーフが飾られています。作家古川薫氏による副碑の文中は「維新史を旋回させた二つの雄魂 その名 高杉晋作 その名 坂本龍馬」と記されています。
場所:下関市あるかぽーと5番
田松陰 高杉晋作 久坂玄瑞像
国道262号から萩秋芳線で萩に入る手前の萩往還公園に、長州の志士たちの像が並び、観光客を出迎えてくれます。中でもこの3人の像は目立ちます。この甲冑姿は、功山寺挙兵時のもののようです。この格好の時にこの三人が並ぶことはありえませんが、晋作を表現する服装は着流しかこの甲冑姿が印象深いので、歴史に詳しくない一般観光客のためにこのスタイルを選んだのでしょうか?
場所:萩市大字椿字鹿背ケ坂 1258 萩往還公園
高杉晋作立志像
平成22年、若き日の晋作をイメージした像が、晋作誕生地の傍の晋作公園に建てられました。他の晋作像と比べ、骨太でとてもたくましく、高杉晋作の像の中で唯一月代を結っております。凛々しいその目線の先は、萩城が建っていたあたりです。公園内には、晋作の好きだった梅の木も多く
植樹されています。
場所:萩市南古萩町 
晋作広場
高杉晋作銅像
平成26年、晋作の墓所である東行庵に建てられた最も新しい銅像です。下関市内にある2体の陶像のようにオーソドックスな造型が、威厳と重厚さを醸し出します。まだ出来たばかりですので、古い銅の風合いがまだ出ていませんが、これからだんだんと良くなっていく事でしょう。
場所:下関市吉田1184 東行庵




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