-晋作の愛した下関-  長府

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長府は長府藩の城下町として、今もなおその風情を残す街です。その歴史は古く、仲哀天皇の時代に穴門豊浦宮が置かれたという記載が日本書紀にあります。室町時代には厚東氏が、戦国時代には大内氏 が、この地で滅亡しました。江戸時代に入ってからは、長州藩の支藩長府藩が設立し、城下町を発展させました。城に近い場所には上級武士の屋敷を、城から少し離れた場所には下級武士の屋敷を配し、山陽道に沿って町人が住む形が設けられています。ちなみに六本木ヒルズの毛利庭園は、この長府毛利藩の麻布上屋敷跡です。



長府
※地図は「Yafoo!Japan地図」をPrtScして作成しています。
当時の海岸線(管理人が推定したもの)を薄青にて表示しています。

櫛崎城跡
関門海峡を望む要衝として、周防灘に突き出した半島の高台に築かれた城でした。大内氏の重臣内藤隆春が築城し、大内氏が滅びた後は毛利秀元の居城となっていましたが、幕府の定める一国一城令により取り壊され、隣接地に陣屋を置きました。下関攘夷戦には台場として使用され、真鍮砲3門と木砲4門が配備されました。
場所:下関市長府外浦町1
ブログ記事→櫛崎城跡

長府庭園(旧西運長邸)
長府藩家老格(700石)西運長の屋敷を整備して、四季折々の庭園美を見せる長府庭園となりました。西運長は下関攘夷戦の海防掛として指揮をとり、小倉戦争では中軍大隊長として活躍した人物です。紅葉の名所としても有名です。
場所:下関市長府黒門東町8-11

豊功神社
歴代の長府藩主を祭神としています。大正6年、長府藩初代藩主毛利秀元以下を祀った豊功社を忌宮神社境内から移して、それまであった櫛崎・松崎・宮崎の各神社を合祀し、社号を廃して豊功神社となりました。境内には「長府藩報國隊顕彰之碑」が建立されてます。境内から望む満珠・干珠島の風景は絶景と云われ、初日の出や中秋の名月などを楽しめます。
場所:下関市長府宮崎町4-1

長府陣屋跡
山口県立豊浦高等学校の敷地内が、長府陣屋のあった場所です。海に近いこの陣屋は海上に対する防衛力に欠けるため、海から離れた勝山に新たに勝山御殿を築いて移り、長府陣屋は廃されました。豊浦高等学校の前身は、長府藩藩校敬業館です。周囲の壁が土塀造りとなっていて、歴史ある学校だということを主張しています。
場所:下関市長府宮崎町1-1

旧野々村家表門
長府藩報國隊都督野々村勘九郎邸の表門です。野々村勘九郎は、藩内きっての剣客と知られ、長府藩報国隊が結成されると都督に任命されました。しかし、報国隊士が保守派要人を暗殺するといった事件が発生。関与を疑われ切腹させられました。彼は中山忠光暗殺犯の一人ともいわれています。
場所:下関市長府南の町
ブログ記事→旧野々村家表門

長府藩侍屋敷長屋
長府藩御馬廻役西家の本門に附属していた長屋を、保存のためにここに移築したもの。一見ただの長屋風ですが、構造の重厚さ、特に仲間部屋格子窓の造り等は、上級藩士の住居の趣を残しています。建築規模や格子窓の形態から江戸後期の建築物と推測されています。
場所:下関市長府侍町1-1
ブログ記事→長府藩侍屋敷長屋

功山寺
長府毛利家の菩提寺で、長府毛利家墓所があります。仏殿は鎌倉時代に建立された貴重なものであり、国宝に指定されています。書院には三条実美ら5卿が滞在しており、「七卿潜伏の間」が残されています。高杉晋作がここで80名の兵で挙兵し、軍事クーデターを成功させました。境内には長府尊攘堂、万骨堂、颯爽と馬にまたがった晋作の銅像「高杉晋作回天義挙像」などがあります。
場所:下関市長府川端1-2-3

ブログ記事→功山寺山門紅葉 功山寺紅葉 功山寺

桂弥一旧邸(茶屋 祥)
桂弥一は報国隊士として北越戦争に小隊長として従軍。その後、病気を患い軍人の道を諦めます。健康を回復してからは、東京で牧畜の技術を習得。長府に戻って自営牧場を営み、の農業技術の向上に尽くしたました。晩年は幕末の志士たちの顕彰事業をはじめ、長府尊攘堂や、全国から石を集めた万骨堂などを建設しています。旧邸はカフェとして営業しており、お茶を楽しみながら武家屋敷の風情を感じることができます。木戸孝允、山縣有朋などの書も掛けられています。
場所:下関市長府川端2-1-6

ブログ記事→旧桂弥一邸

長府毛利邸
長府藩最後の藩主であった毛利元敏が、明治36年に建設した本邸。明治天皇も滞在しており、宿泊していた部屋は当時のまま保存されています。武家屋敷造りの重厚な母屋と白壁に囲まれた日本庭園は、紅葉の名所としても知られており、シーズンには様々なイベントを開催しています。
場所:下関市長府惣社町4-10

古江小路
古い町並みの多く残る長府の中でも、この古江小路は当時の城下町の風情を感じさせます。数多くの維新の志士達がこの小路を歩いたことでしょう。
場所:下関市長府古江小路町

忌宮神社
仲哀天皇が熊襲平定の際に滞在した行宮である豊浦宮の跡とされ、仲哀天皇を祀っています。足利尊氏が戦勝祈願をした事でも知られ、古来、文武の神・勝運の神として信仰されました。夏には「天下の奇祭」と呼ばれる「数方庭祭」が行われ、巨竹を担いだ男達が境内を廻ります。
場所:下関市長府宮の内町1-18
ブログ記事→忌宮神社・集童場場長室

集童場場長室
集童場は、長府藩士熊野則之らが創設した鍛錬道場。幼少年に寝食を共にさせ、心身を鍛練する事によって優れた人物を育成するという目的で運営されました。 身分に関係なく優秀な少年達を集めていた事から「長府の松下村塾」とも呼ばれています。
場所:下関市長府宮の内町1-18
ブログ記事→忌宮神社・集童場場長室

乃木神社
旅順攻略や明治天皇の殉死などで知られる乃木希典を、祭神とする神社。境内には乃木旧邸が再現されており、乃木と婦人の銅像も建てられています。宝物館には、乃木の数々の遺品が展示。旅順陥落の際に持ち帰った203高地の松が植えられていましたが、現在は枯れてしまったようです。
場所:下関市長府宮の内町1-18

覚苑寺
長府毛利家の菩提寺の一つ。境内には鋳銭所跡や狩野芳崖、乃木希典の銅像があります。3代、6代、13代長府藩主の墓所があるほか、庫裏は勝山御殿の玄関を移築して作られたものです。五卿長府入りの際に、騎兵隊の駐屯地としても使われました。
場所:下関市長府安養寺3丁目9
ブログ記事→覚苑寺

白石正一郎浜門
尊皇攘夷志士や奇兵隊などに惜しみない支援をした勤皇商人白石正一郎は、多額の支援で商売が行き詰まり破産してしまいます。その後、家屋敷を売却する際に、浜門が買い取られここに移築されました。
場所:下関市長府小田本町11-25
ブログ記事→白石正一郎邸浜門



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