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-藩とは-


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藩とは?
江戸時代に1万石以上の領土を保有する封建領主である大名が支配した領域と、その支配機構を指す
歴史用語です。
実際に徳川幕府が規定した制度ではなかったため、当時の正式な用語ではありませんでした。
当時としては、長州藩・長州藩士などという言葉は使われず、毛利領・毛利家家臣などと称していたようです。
しかし一部国持大名などは国名(毛利=長州(周防・長門)、島津=薩州・薩摩(薩摩・大隅・日向の一部))で呼ばれることもあったそうです。
ただ、元禄以降には「藩」という言葉も散見され、幕末には○○藩、○○藩士と言われる場合もあったようです。
明治になって「藩」は公称となり、一般に広く使用されるようになります。

現在では、歴史学において大名領およびその領地の支配組織を藩。
藩の領主である大名のことを藩主。大名の家臣のことを藩士と呼称することが一般的です。



-例-

周防国、長門国を領有する毛利家の呼称

○歴史学上、現在の一般的な呼称
長州藩(国名から)
毛利藩(大名の名から)
萩藩(政治拠点(城・陣屋)のあった地名から)

○当時の呼称
毛利家領(毛利家所領、毛利家支配)
*家臣が名乗る場合、大名の官名を付属させる場合もあるex毛利大善太夫家臣
*他家から称される場合は、御や様が間に付属するex毛利様御支配



藩の種類
江戸時代の藩(大名家)は大きく3つに分類され、徳川姓を名乗る親藩、
関ヶ原の戦い以前から徳川家に仕えていた大名家とその分家である譜代、
関ヶ原の戦い以降から徳川家に仕えた大名家の外様に分かれます。


○親藩
徳川家康の男系男子の子孫が始祖となっている家。
特に、御三家・御三卿の当主は家康の男系男子、子孫に限られ、
将軍家の血筋が絶えた場合、将軍を出す役割を担った。
その他の家は松平姓を名乗った。
ちなみに、親藩は幕府要職に就かない。これは臣下である譜代が幕政を取り仕切るもので、
将軍家たる親藩が大老以下の要職に就くということは、降格であるためでした。
しかし、幕末には朝廷の圧力により、
新設された三要職(将軍後見職・京都守護職・政事総裁職)に
親藩の松平春嶽・松平容保・一橋慶喜が就任します。
※御三家の支藩は、御連枝と呼び本家筋に継嗣無き場合に本家を継承するため、
御三家に次ぐ家格とされました。

○譜代
譜代とは、主家に数代にわたり仕えたという意味です。
江戸時代においては、関が原の戦い以前より徳川家に仕えていた大名を指し、
また、旗本から加増されて大名に昇進した場合も譜代大名とされます。
譜代大名には老中・若年寄をはじめとする幕閣の要職に就く資格があります。
もう一つの役目として、全国の外様大名を監視するという役割を持ち、
外様大名が不穏な動きをしないようにその所領を隣接して置かれました。


○外様
外様とは、関が原の戦い後に徳川家の支配体系に組み込まれた大名を指します。
一般に老中・若年寄などの幕閣の要職には就けないとされています。
外様大名の中でも、関が原の戦い以前より徳川家と有効的であった大名とそうでない大名に別れ、
後者は厳封や転封など幕府より厳しい扱いを受けた場合も多く、
また些細な不備を咎められ改易される大名もいました。




伺候席(家格)
大名の家格は、伺候席と呼ばれる将軍に拝謁する順番を待つ控席(控室)で決められます。

1大廊下
上之部屋と下之部屋で仕切られた親藩の控席。
上之部屋には御三家及び御三卿が詰め、下之部屋には加賀藩前田家及び、
親藩の中でも将軍家に近い大名(藩主か藩主正室が将軍の子)が詰めました。

2大広間
国主及び準国主が詰めた控席で、官位が四品以上の親藩及び外様大名も詰めました。

3溜詰
譜代大名の最高位。代々の溜詰を常溜と呼び、彦根藩井伊家、会津藩松平家、高松藩松平家の三家がこれにあたります。
桑名藩松平家、岡崎藩本多家、庄内藩酒井家、越後高田藩榊原家なども、これに次いで代々溜詰でした。

4帝鑑間
通常、譜代藩が詰める席で、本来はここに詰める大名の事を譜代大名と呼びます。

5柳間
官位五位以下の外様大名、高家旗本などが詰める席。上位の大名嫡子もこの席に詰めます。

6雁間
幕府成立以降に取り立てられた城主格大名が詰める席。また老中や所司代の嫡子もこの席に詰めます。
雁間詰めの大名は毎日登城します。

7菊間広縁
幕府成立以降に取り立てられた無城大名が詰める席。
旗本の重職「大番頭、両番頭など」の詰める席でもあります。


家格に関しては上記の順番ですが、将軍のいる「奥」に近い順は、3溜間、6雁間、7菊間広縁、4帝鑑間、
1大廊下、5柳間、2大広間となっており、格式は高いが将軍からは遠ざけられていました。



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