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【三百諸藩の幕末の動向】東北の諸藩/関東の諸藩/東海の諸藩/甲信越の諸藩/北陸の諸藩/近畿の諸藩/中国の諸藩/四国の諸藩/九州北部の諸藩/九州南部の諸藩 【その他リストなど】幕末明治の艦艇/御三卿・幕府直轄地拠点/幕末人物 墓所訪問 【晋作の愛した下関】豊北町・豊浦町/豊田町・菊川町/吉母・吉見・福江/向日・井田・田倉/吉田・清末/安岡・綾羅木・延行/長府/市街(下関〜唐戸)/彦島 |
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佐賀藩人物録 | ||||||
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佐賀藩(肥前藩) 35万7000石 鍋島家 佐賀城 支藩:蓮池藩 5万2000石 鍋島家 蓮池陣屋 小城藩 7万3000石 鍋島家 小城陣屋 鹿島藩 2万石 鍋島家 鹿島城 「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」という文言で有名な葉隠は、佐賀藩士の精神的支柱となっている。幕末には、第10代藩主鍋島直正が改革を行い、最も近代化された藩となる。しかし、鎖国藩と呼ばれるように、他藩士との交流を禁じていたために、時流に乗ることができず、大政奉還まで静観を続けた。戊辰戦争では、近代化した兵器と軍制で新政府軍に貢献。多くの人材を派遣し、薩長土肥の一つに数えられた。 | |
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あ行 |
朝倉 尚武 あさくら なおたけ (1842-1874) 佐賀藩 |
明治の法整備に貢献した人材を数多く育てた教育者 変名:枝吉経種 主な役職:佐賀藩兵一番大隊長、陸軍少佐、征韓党参謀長 剣術:- 墓所:佐賀市中の館町乾亨院 |
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枝吉 神陽 えだよし しんよう (1822-1862) 佐賀藩 |
明治の法整備に貢献した人材を数多く育てた教育者 変名:枝吉経種 主な役職:弘道館教諭、義祭同盟主宰 剣術:- 墓所:佐賀市西田代本行寺 |
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石井 龍右衛門 いしい りゅうえもん (1825-1882) 佐賀藩 |
枝吉神陽と共に称される佐賀の教育者 変名:北島才作、石井只右衛門、石井成徳、石井鉄、石井松堂 主な役職:弘道館教諭、義祭同盟主宰 剣術:- 墓所:佐賀市西田代本行寺 |
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石井 貞興 いしい さだおき (1842-1877) 佐賀藩 |
佐賀の乱で生き残り西南戦争まで戦ったラストサムライ 変名:石井乙次、石井大作、石井竹之助 主な役職:佐賀県少参事、佐賀県大属 剣術:- 墓所:佐賀市長瀬東光寺 |
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石井 忠亮 いしい ただあきら (1840-1901) 佐賀藩 |
日本に電話をもたらした「逓信四天王」の一人 変名:- 主な役職:陽春丸船将、電信局長、逓信省電信局長、元老院議官、和歌山県知事 剣術:- 墓所:和歌山市和歌浦雲蓋院 |
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石井 忠躬 いしい ただみ (1837-1883) 蓮池藩 |
官軍から高い評価を受けた青年家老 変名:鍋島総若、鍋島総之助、石井久馬、石井靭負 主な役職:蓮池藩家老、蓮池藩大参事 剣術:- 墓所:佐賀市本庄町常照院 |
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石井 富之助 いしい とみのすけ (1835-1897) 佐賀藩 |
近代軍制の確立に貢献した直良沈毅の軍人 変名:石井藹吉 主な役職:軍務局判事試補、海軍参謀補助、七位兵部権少丞、海軍大丞、兵部少丞 剣術:- 墓所:東京都港区賢崇寺、佐賀市高木瀬東本通寺 |
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伊東 玄朴 いとう げんぼく (1801-1871) 佐賀藩 |
幕府に蘭方をもたらした近代医学の祖 変名:伊東長春院 主な役職:幕府奥医師、幕府法印 剣術:- 墓所:東京都台東区天龍院 |
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江藤 新平 えとう しんぺい (1834-1874) 佐賀藩 |
佐賀の乱を起こして処刑された初代司法卿 変名:江藤恒太郎、江藤又蔵、江藤胤雄、江藤胤風、江藤南白、平胤雄 主な役職:東征大総督府軍監、司法卿、参議 剣術:- 墓所:佐賀市西田代本行寺 |
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大木 喬任 おおき たかとう (1838-1922) 佐賀藩 |
法整備に尽力した明治六大教育家の一人 変名:大木幡六、大木民平 主な役職:民部卿、文部卿、教部卿、司法卿、民法編纂総裁、枢密顧問官、枢密院議長 剣術:- 墓所:神埼郡吉野ヶ里町西往寺、東京都港区青山霊園 |
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大隈 重信 おおくま しげのぶ (1838-1922) 佐賀藩 |
早稲田大学創始者にして初の政党内閣の首相 変名:大隈八太郎 主な役職:外務大臣、内閣総理大臣 剣術:- 墓所:東京都文京区護国寺、佐賀市赤松町龍泰寺 |
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か行 |
香月 経五郎 かつき けいごろう (1849-1874) 佐賀藩 |
斬首となった佐賀の乱最年少の首謀者 変名:- 主な役職:- 剣術:- 墓所:佐賀市高木瀬東極楽寺 |
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さ行 |
佐野 常民 さの つねたみ (1823-1902) 佐賀藩 |
日本赤十字社の創始者 変名:下村鱗三郎、佐野栄寿左衛門、 主な役職:兵部少丞、燈台頭、博覧会御用掛、ウィーン万国博覧会事務副総裁、日本赤十字社社長 剣術:- 墓所:東京都港区青山霊園 |
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島 義勇 しま よしたけ (1822-1874) 佐賀藩 |
佐賀の乱で斬首された北海道開拓の父 変名:島団右衛門、島国華、島楽斉、桜陰 主な役職:下野鎮圧軍大総督軍監、蝦夷開拓御用掛、大学少監、秋田県権令 剣術:- 墓所:佐賀市金立町来迎寺 |
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副島 種臣 そえじま たねおみ (1828-1905) 佐賀藩 |
正義人道の人と国際的に支持された政治家 変名:枝吉竜種、副島次郎、蒼海、一々学人 主な役職:宮中顧問官、枢密院副議長、内務大臣 剣術:- 墓所:佐賀市本庄町高傳寺、東京都港区青山霊園 |
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た行 |
な行 |
中島 鼎蔵 なかじま ていぞう (1849-1874) 佐賀藩 |
斬首となった佐賀の乱最年少の首謀者 変名:- 主な役職:- 剣術:- 墓所:- |
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永田 暉明 ながた てるあき (1838-1823) 蓮池藩 |
地元に尽くした佐賀市長 変名:永田碧桐、永田有終 主な役職:蓮池大参事、神埼郡長、県会議員、佐賀市長 剣術:- 墓所:- |
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中牟田 倉之助 なかむた くらのすけ (1837-1916) 佐賀藩 |
近代日本海軍の礎を築いた日本海軍初代軍令部長 変名:中牟田武臣 主な役職:朝陽丸艦長、海軍兵学寮校長、海軍軍令部長、海軍大学校長 剣術:- 墓所:東京都港区青山霊園 |
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鍋島 直紀 なべじま なおとら (1826-1891) 蓮池藩 |
蓮池藩最後の藩主 変名:鍋島統丸、鍋島統太郎 主な役職:第9代蓮池藩主 剣術:- 墓所:東京都港区青山霊園 |
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鍋島 直虎 なべじま なおとら (1856-1925) 小城藩 |
佐賀の乱に連座した小城藩最後の藩主 変名:鍋島欽八郎 主な役職:第11代小城藩主、外務省御用掛、貴族院議員 剣術:- 墓所:小城市鷺原星巌寺 |
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鍋島 直大 なべじま なおひろ (1846-1921) 佐賀藩 |
イギリスに留学した佐賀藩最後の藩主 変名:鍋島淳一郎、鍋島直縄 、鍋島茂実 主な役職:第11代佐賀藩主、駐伊王国特命全権公使、元老院議官、宮中顧問官、貴族院議員 剣術:- 墓所:東京都港区青山霊園 |
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鍋島 直正 なべじま なおまさ (1815-1871) 佐賀藩 |
佐賀藩の財政再建と軍備の近代化に成功した賢君 変名:鍋島貞丸、鍋島斉正、鍋島直正、鍋島閑叟 主な役職:第10代佐賀藩主、蝦夷開拓総督 剣術:- 墓所:佐賀市大和町春日山 |
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鍋島 直彬 なべじま なおよし (1844-1915) 鹿島藩 |
沖縄県令となった鹿島藩最後の藩主 変名:鍋島熊次郎 主な役職:第13代鹿島藩主、宮内御用掛、文学御用掛、沖縄県令、貴族院議員 剣術:- 墓所:鹿島市古枝町普明寺 |
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成富 椿屋 なりとみ ちんおく (1814-1907) 鹿島藩 |
皇太子御前で画を披露した長崎派の画家 変名:成富鵬明 主な役職:- 剣術:- 墓所:佐賀市蓮池町浄国寺 |
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は行 |
ま行 |
前山 清一郎 まえやま せいいちろう (1823-1896) 佐賀藩 |
裏切り者とされた佐賀藩の名参謀 変名:前山長定 主な役職:大総督府応援参謀、佐賀藩大参事、兵部省博多分営長 剣術:- 墓所:- |
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や行 |
山口 尚芳 やまぐち なおよし (1839-1894) 佐賀藩 |
明治政府の近代化に貢献した官僚 変名:山口範蔵 主な役職:元老院議官、元老院幹事、貴族院勅撰議員、 剣術:- 墓所:東京都港区青山霊園 |
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山田 平蔵 やまだ へいぞう (1844-1874) 佐賀藩 |
斬首された佐賀の乱首謀者の一人 変名:- 主な役職:- 剣術:関口流柔術 墓所:- |
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山中 一郎 やまなか いちろう (1848-1874) 佐賀藩 |
将来を有望視されていた江藤の門下生 変名:- 主な役職:- 剣術:- 墓所:- |
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ら行 |
わ行 |
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