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【三百諸藩の幕末の動向】東北の諸藩/関東の諸藩/東海の諸藩/甲信越の諸藩/北陸の諸藩/近畿の諸藩/中国の諸藩/四国の諸藩/九州北部の諸藩/九州南部の諸藩 【その他リストなど】幕末明治の艦艇/御三卿・幕府直轄地拠点/幕末人物 墓所訪問 【晋作の愛した下関】豊北町・豊浦町/豊田町・菊川町/吉母・吉見・福江/向日・井田・田倉/吉田・清末/安岡・綾羅木・延行/長府/市街(下関〜唐戸)/彦島 |
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新撰組人物録 | ||||||
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新撰組 幕末の京都には尊王攘夷運動の過激派志士が集まり治安が悪化。従来から京都の治安維持にあたっていた京都所司代と京都町奉行だけでは防ぎきれないと判断した幕府は、京都守護職を新設し、会津藩主松平容保を就任させた。その配下として活動したのが新選組である。発足時は24名であった新選組は、その最盛時には200名を超えた。 ※ここでは、壬生浪士組以降の隊士を紹介します。 | |
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あ行 |
青地 源太郎 あおち げんたろう (生没年不明) 新撰組 | 桑名藩から加入した副長助勤 変名:沢釆女、沢吉久満、沢主水、沢良雋 主な役職:新撰組諸士調役兼監察、新撰組副長助勤 剣術:− 墓所:不明 | ||
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浅野 薫 あさの かおる (?-1867) 新撰組 | 沖田に斬られた副長助勤 変名:浅野藤太郎 主な役職:新撰組諸士調役兼監察、新撰組副長助勤 剣術:− 墓所:東京都北区寿徳寺境外墓地 | ||
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阿部 十郎 あべ じゅうろう (1837-1907) 新撰組 御陵衛士 | 伊東と共に袂を分けた御陵衛士 変名:高野十郎、阿部隆明 主な役職:新撰組伍長、新撰組砲術師範 剣術:直心流剣術 墓所:不明 | ||
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新井 破魔男 あらい はまお (1843-1868) 新撰組 | 齋藤一の側近として戊辰戦争を戦った隊士 変名:荒井浜磨男 主な役職:− 剣術:− 墓所:不明 | ||
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蟻通勘吾 ありどおし かんご (1839-1869) 新撰組 | 終始平隊士として前線で戦った古参隊士 変名:- 主な役職:− 剣術:− 墓所:函館市神山大圓寺 | ||
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漢 一郎 あや いちろう (1838-1868) 新撰組 | 会津で戦死した旗役頭取 変名:湊一郎、柴岡剛三? 主な役職:新選組旗役頭取 剣術:− 墓所:東京都北区寿徳寺境外墓地 | ||
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荒木田 左馬之助 あらきだ さまのすけ (1838-1863) 新撰組 | 間者として暗殺された隊士 変名:荒木田左馬之允、荒木田左馬之亮 主な役職:新撰組国事探偵方 剣術:− 墓所:東京都北区寿徳寺境外墓地 | ||
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安藤 早太郎 あんどう はやたろう (?-1864) 挙母藩 新撰組 | 池田屋事件で重傷を負い死亡した隊士 変名:− 主な役職:新選組副長助勤 剣術:北辰一刀流剣術 墓所:京都市中京区壬生寺 | ||
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池田 小三郎 いけだ こさぶろう (1842-1868) 新撰組 | 三条制札事件等で活躍した撃剣師範 変名:池田小太郎 主な役職:新選組撃剣師範 剣術:北辰一刀流剣術 墓所:東京都港区真浄寺 | ||
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池田 七三郎 いけだ ひちさぶろう (1849-1938) 新撰組 | 昭和まで生きた最後の新撰組隊士 変名:稗田利八 主な役職:新選組副長助勤 剣術:小野派一刀流剣術 墓所:東京都港区真浄寺 | ||
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石井 勇次郎 いしい ゆうじろう (1846-1903) 新撰組 |
戊辰戦争見聞略記を著した新撰組隊士 変名:石井源次郎 主な役職:箱館新選組分隊差図役 剣術:直心影流剣術 墓所:柏崎市若葉町極楽寺 |
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伊東 甲子太郎 いとう かしたろう (1835-1867) 新撰組 御陵衛士 | 油小路にて暗殺された新選組の策士 変名:伊東武明、鈴木祐之、伊東大蔵、伊東誠斎。宇田兵衛 主な役職:新選組参謀兼文学師範 新撰組二番隊組頭 剣術:神道無念流剣術、北辰一刀流剣術 墓所:京都市下京区光緑寺 | ||
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伊藤 鉄五郎 いとう てつごろう (1840-1868) 新撰組 | 会津で戦死した隊士 変名:− 主な役職:新選組伍長 剣術:− 墓所:不明 | ||
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井上 源三郎 いのうえ げんざぶろう (1829-1868) 新撰組 | 鳥羽伏見で戦死した六番隊組長 変名:井上一武 主な役職:新選組六番隊組長、副長助勤 剣術:天然理心流剣術 墓所:日野市日野本町宝泉寺、京都市伏見区欣浄寺 | ||
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井上 泰助 いのうえ たいすけ (1858-1927) 新撰組 | 近藤の刀持ちを務めた長井上源三郎の甥 変名:− 主な役職:− 剣術:天然理心流剣術 墓所:日野市日野本町宝泉寺 | ||
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梅戸 勝之進 うめど かつのしん (生没年不明) 新撰組 | 斎藤と共に会津で戦った隊士 変名:− 主な役職:− 剣術:− 墓所:不明 | ||
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大石 鍬次郎 おおいし くわじろう (1838-1870) 新撰組 | 暗殺任務を請け負う人斬り鍬次郎 変名:大石守親 主な役職:新選組諸士調役兼監察 剣術:小野派一刀流剣術 墓所:東京都港区専称寺 | ||
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沖田 総司 おきた そうじ (1844?-1868) 新撰組 | 一番隊組長を務めた天才剣士 変名:沖田春政、沖田房良、沖田宗次郎 主な役職:新選組一番隊組長 剣術:天然理心流剣術 墓所:東京都港区専称寺 | ||
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奥沢 栄助 おくざわ えいすけ (?-1864) 新撰組 | 池田屋事件で重傷を負い死亡した隊士 池田屋事件に出動。近藤勇の隊に所属し池田屋裏庭の防御に当たったが、逃亡を図る尊皇攘夷志士の猛攻を受け重傷を負い屯所に運ばれ、後に死亡。死後、会津藩は功労金20両を奥沢に与えている。 変名:− 主な役職:伍長 剣術:− 墓所:京都市中京区壬生寺 | ||
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尾関 雅次郎 おぜき まさじろう (1844?-1892) 新撰組 | 箱館戦争まで戦い抜いた古参隊士 変名:尾関泉 主な役職:諸士調査役兼監察 剣術:− 墓所:奈良県高市郡光雲寺 | ||
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尾関 弥四郎 おぜき やしろう (1831-1865) 新撰組 | 心臓病により病死した隊士 変名:− 主な役職:− 剣術:− 墓所:不明 | ||
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乙部 剛之進 おとべ ごうのしん (?-1869) 新撰組 | 弁天台場で戦死した土方新撰組隊士 変名:武部銀次郎 主な役職:− 剣術:− 墓所:高梁市頼久寺町頼久寺 | ||
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か行 |
粕谷 十郎 かすや じゅうろう (1840-1869) 新撰組 | 五人と斬り合い戦死した土方新撰組隊士 変名:− 主な役職:箱館新撰組嚮導役 剣術:− 墓所:不明 | ||
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葛山 武八郎 かづらやま たけはちろう (?-1864) 新撰組 | 近藤に逆らい切腹した伍長 変名:− 主な役職:新撰組伍長 剣術:− 墓所:京都市中京区壬生寺 | ||
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加納 道之助 かのう みちのすけ (1839-1902) 新撰組 御陵衛士 | 近藤を襲って負傷させた元御陵衛士 変名:加納鷲雄、伊豆太郎、加納通広 主な役職:新撰組伍長 剣術:北辰一刀流剣術 墓所:東京都港区青山霊園 | ||
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河合 耆三郎 かわい きさぶろう (1838-1866) 新撰組 | 失策により切腹した勘定方 変名:− 主な役職:− 剣術:− 墓所:京都市中京区壬生寺 | ||
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河合 鉄五郎 かわい てつごろう (1846-?) 新撰組 | 会津で齋藤新撰組に入隊した元貫義隊士 変名:− 主な役職:− 剣術:− 墓所:不明 | ||
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木内 峰太 きうち みねた (生没年不詳) 新撰組 | 警察官となった新撰組隊士 変名:− 主な役職:− 剣術:− 墓所:不明 | ||
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菊池 央 きくち おう(たのむ) (1847-1868) 新撰組 | 白河口の戦いで大将首を挙げた隊士 変名:菊池央五郎 主な役職:− 剣術:− 墓所:白河市大工町天恩皇徳寺 | ||
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木下 巌 きのした いわお (1846-1868) 新撰組 | 母成峠の戦いで戦死した隊士 変名:− 主な役職:新撰組伍長、新撰組什長 剣術:− 墓所:不明 | ||
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楠 小十郎 くすのき こじゅうろう (1847?-1863) 新撰組 | 間者として斬られた美男五人衆の一人 変名:− 主な役職:− 剣術:− 墓所:不明 | ||
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粂部 正親 くめべ まさちか (1841-1910) 新撰組 | 陸軍士官となった隊士 変名:久米部正親、猪野忠敬 主な役職:軍目付 剣術:− 墓所:白石市字中町専念寺 | ||
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栗原仙之助 くりはら せんのすけ (1847-1869) 新撰組 | 三好胖の従者として入隊した隊士 変名:− 主な役職:− 剣術:− 墓所:唐津市十人法蓮寺 | ||
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小窪 清吉 こくぼ せいきち (1847-1868) 新撰組 | 三好胖の従者として入隊した隊士 変名:− 主な役職:− 剣術:− 墓所:不明 | ||
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近藤 勇 こんどう いさみ (1834-1868) 新撰組 | 京都の尊皇志士達が恐れた新選組の局長 天保5年、宮川久次郎の三男として生まれる。嘉永元年、天然理心流剣術道場試衛館に入門。万延2年、天然理心流宗家四代目に襲名。文久3年、清河八郎率いる浪士組織「浪士組」へ参加し上洛する。清河は朝廷に建白書を提出し浪士組の江戸帰還を提案する。異議を唱えた近藤や芹沢鴨ら24人は京に残留。京都守護職を務める会津藩主松平容保に嘆願書を提出し、京都守護職配下で「壬生浪士組」と名乗り活動を開始した。八月十八日の政変が起こると、働きぶりが認められ、武家伝奏より「新撰組」の隊名を下賜される。その後、芹沢一派を粛清し、新撰組は近藤勇主導の新体制を構築する。元治元年、池田屋事件の働きにより、新選組は朝廷と幕府から感状と褒賞金を賜る。慶応3年、鳥羽伏見の戦いで幕府軍が敗れると、新選組は幕府軍艦で江戸に戻る。幕府の命を受けた近藤は、甲陽鎮撫隊として隊を再編し甲府へ出陣するが、甲州勝沼の戦いで新政府軍に敗れ敗走。下総流山で再編成を図るが、敵方に囲まれ投降。慶応4年、板橋において斬首。その首級は板橋宿外の一里塚に晒され、のち京の三条河原に梟首された。 変名:宮川勝五郎、嶋崎勝太、嶋崎勇、大久保剛、大久保大和 主な役職:新撰組局長、甲陽鎮撫隊隊長 剣術:天然理心流剣術 墓所:東京都北区JR板橋駅前、岡崎市本宿町法蔵寺、三鷹市大沢龍源寺、 会津若松市東山町天寧寺、東京都荒川区円通寺、米沢市鍛冶町高国寺 | ||
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近藤 芳助 こんどう よしすけ (1843-1922) 新撰組 | 大正まで生きた新撰組伍長 変名:川村三郎 主な役職:新撰組伍長 剣術:天然理心流剣術 墓所:横浜市西区東福寺 | ||
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さ行 |
斎藤 一 さいとう はじめ (1844-1915) 新撰組 | 無敵の剣と云われた三番隊組長 変名:山口一、山口二郎、一瀬伝八、藤田五郎 主な役職:新撰組副長助勤、新撰組三番隊組長、麻布警察署詰外勤警部 剣術:聖徳太子流剣術、天然理心流剣術、山口一刀流剣術、津田一伝流剣術、関口流柔術 墓所:若松市七日町阿弥陀寺 | ||
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酒井 兵庫 さかい ひょうご (?-1865) 新撰組 | 脱走し沖田に斬られた隊士 変名:− 主な役職:新撰組会計方 剣術:− 墓所:不明 | ||
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佐々木 蔵之助 ささき くらのすけ (生没年不明) 新撰組 | 離隊し消息不明の隊士 変名:佐々木蔵之丞 主な役職:− 剣術:− 墓所:不明 | ||
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篠原 泰之進 しのはら たいのしん (1828-1911) 新撰組 | 伊東と共に袂を分けた御陵衛士 変名:篠原泰輔、篠塚友平、秦河内、秦林親 主な役職:新撰組諸士調役兼監察、新撰組柔術師範 剣術:北辰一刀流剣術、宝蔵院流槍術、良移心倒流柔術 墓所:東京都港区青山霊園 | ||
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島田 魁 しまだ かい (1828-1900) 新撰組 | 箱館戦争まで戦い抜いた剛力隊士 変名:島田義明 主な役職:新撰組諸士調役兼監察、守衛新選組隊長 剣術:心形刀流剣術 墓所:京都市東山区大谷祖廟 | ||
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志村 武蔵 しむら たけぞう (1833-?) 新撰組 | 戊辰戦争に参加した隊士 変名:− 主な役職:− 剣術:− 墓所:不明 | ||
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宿院 良蔵 しゅくいん りょうぞう (1821-1868) 新撰組 | 橋本の戦いで戦死した隊士 変名:− 主な役職:− 剣術:− 墓所:東京都北区寿徳寺境外墓地 | ||
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鈴木 三樹三郎 すずき みきさぶろう (1837-1919) 新撰組 御陵衛士 | 伊東と共に袂を分けた御陵衛士 変名:寺内多聞、三木荒次郎、鈴木忠良 主な役職:新撰組九番隊組長、赤報隊二番隊隊長、鶴岡警察署長 剣術:神道無念流剣術、北辰一刀流剣術 墓所:石岡市若宮東耀寺 | ||
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鈴木 練三郎 すずき れんざぶろう (1848-1868) 新撰組 | 近藤の側近を務めた隊士 変名:− 主な役職:歩兵差図役下役 剣術:− 墓所:不明 | ||
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芹沢 鴨 せりざわ かも (1827-1863) 新撰組 | 近藤派に暗殺された筆頭局長 変名:芹沢玄太、下村嗣司 主な役職:壬生浪士隊筆頭局長、新撰組筆頭局長 剣術:神道無念流剣術 墓所:京都市中京区壬生寺 | ||
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千田 兵衛 せんだ ひょうえ (1846-1868) 新撰組 | 近藤の側近を務めた隊士 変名:− 主な役職:新撰組歩兵差図役下役 剣術:− 墓所:不明 | ||
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相馬 主計 そうま かずえ (1843?-1872?) 新撰組 | 弁天台場にて降服した新撰組最後の隊長 変名:相馬肇 主な役職:新撰組局長付組頭、箱館新撰組隊長 剣術:唯心一刀流、随変流抜刀術 墓所:不明 | ||
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た行 |
武田 観柳斎 たけだ かんりゅうさい (?-1867) 新撰組 | 甲州流軍学で新撰組を調練した五番隊組長 変名:− 主な役職:副長助勤、新撰組五番隊組長 剣術:− 墓所:不明 | ||
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谷 三十郎 たに さんじゅうろう (?-1866) 新撰組 | 祇園の石段下で頓死していた七番隊組長 変名:谷供国 主な役職:副長助勤、新撰組七番隊組長 剣術:直心流剣術、種田流槍術 墓所:不明 | ||
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谷 万太郎 たに まんたろう (1835-1886) 新撰組 | 兄と共に新撰組に入隊した大阪屯所の長 変名:谷万吉 主な役職:新撰組大阪屯所隊長 剣術:直心流剣術、種田流槍術 墓所:大阪市北区本伝寺 | ||
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田村 銀之助 たむら ぎんのすけ (1856-1924) 新撰組 | 幼年ながら箱館戦争まで新撰組に付き添った小姓 変名:春日銀之助 主な役職:新撰組両長召抱人 剣術:直心流剣術、種田流槍術 墓所:東京都文京区智光寺 | ||
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津田 丑五郎 つだ うしごろう (1845-1869) 新撰組 | 弁天台場で戦死した隊士 変名:− 主な役職:− 剣術:− 墓所:不明 | ||
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藤堂 平助 とうどう へいすけ (1844-1867) 新撰組 御陵衛士 | 御陵衛士として新撰組に討たれた八番隊組長 変名:藤堂宜虎 主な役職:新撰組八番隊組長 剣術:北辰一刀流剣術 墓所:京都市下京区光緑寺 | ||
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な行 |
永倉 新八 ながくら しんぱち (1839-1915) 新撰組 | 信念を持って行動した二番隊組長 変名:長倉載之、長倉栄吉、長倉栄治、長倉新八、杉村義衛 主な役職:新撰組二番隊組長 剣術:神道無念流剣術 墓所:東京都北区寿徳寺境外墓地 | ||
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長島 五郎作 ながしま ごろうさく (1839-1915) 新撰組 | 箱館で戦死した隊士 変名:− 主な役職:両長召抱人 剣術:− 墓所:− | ||
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中島 登 なかじま のぼる (1838-1887) 新撰組 | 戦友を絵に残した新撰組伍長 変名:中島峯吉 主な役職:新撰組伍長、弁天台場第2分隊嚮導役 剣術:天然理心流剣術 墓所:浜松市山下町天林寺 | ||
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中村 金吾 なかむら きんご (生没年不明) 新撰組 | 離隊し消息不明の隊士 変名:− 主な役職:− 剣術:− 墓所:不明 | ||
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新見 錦 にいみ にしき (1836-1863) 新撰組 | 近藤派に詰め腹を切らされた芹沢派の局長 変名:新見錦山 主な役職:浪士組局長、新撰組副長 剣術:神道無念流剣術 墓所:京都市霊山護国神社、京都市中京区壬生寺(田中伊織) | ||
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新田 革左衛門 にった かくざえもん (?-1864) 新撰組 | 池田屋事件で重傷を負い死亡した隊士 変名:− 主な役職:− 剣術:− 墓所:京都市中京区壬生寺 | ||
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野口 健司 のぐち けんじ (1843-1864) 新撰組 | 詰め腹を切らされた芹沢派最後の一人 変名:− 主な役職:新撰組副長助勤 剣術:神道無念流剣術 墓所:京都市中京区壬生寺 | ||
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野村 利三郎 のむら りさぶろう (1844-1869) 新撰組 | 真っ先に甲鉄艦に斬り込んだ隊士 変名:− 主な役職:陸軍奉行添役 剣術:− 墓所:不明 | ||
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は行 |
原田 左之助 はらだ さのすけ (1840-1868?) 松山藩 | 槍術の名手として知られる十番隊組長 変名:原田忠一 主な役職:新撰組十番隊組長 剣術:種田流槍術 墓所:不明 | ||
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林 信太郎 はやし しんたろう (?-1868) 新撰組 | 戊辰戦争で戦死した隊士 変名:− 主な役職:新撰組伍長 剣術:− 墓所:東京都北区寿徳寺境外墓地 | ||
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土方 歳三 ひじかた としぞう (1835-1869) 新撰組 | 信念を貫いだ鬼の副長 天保6年、土方隼人の末子として生まれる。安政6年、天然理心流剣術道場試衛館に入門。文久3年、試衛館の門下と共に、将軍徳川家茂警護のための浪士組に参加し京都へ赴く。京都守護職配下「壬生浪士組」と名乗り活動を開始。八月十八日の政変が起こると、働きぶりが認められ、武家伝奏より「新撰組」の隊名を下賜される。その後、対抗する芹沢一派を粛清し、近藤勇主導の新体制を構築すると、歳三は副長の地位に就き、近藤の右腕として京都の治安維持に務め、鬼の副長と称されるほど隊士たちから恐れられた。慶応3年、幕臣に取り立てられるが、鳥羽伏見の戦いで幕府軍が敗れると、新選組とともに幕府軍艦で江戸に戻る。幕府の命を受け近藤とともに甲陽鎮撫隊として甲府へ出陣するが、甲州勝沼の戦いで新政府軍に敗れ敗走。近藤投降後は、宇都宮、会津と転戦。仙台で榎本艦隊と合流し蝦夷へ向かう。蝦夷上陸後、各地を平定し、榎本武揚を総裁とする蝦夷共和国を樹立。歳三は幹部として陸軍奉行並となり、箱館市中取締や陸海軍裁判局頭取も兼る。明治2年、新政府軍が上陸してくるとこれに応戦。新政府軍に徐々に包囲される中で降伏をよしとせず、七重浜より攻め来る新政府軍に突撃、馬上で指揮を執った。その乱戦の中、銃弾に腹部を貫かれて絶命した。 変名:土方義豊、土方豊玉、内藤隼人 主な役職:新撰組副長、陸軍奉行並、箱館市中取締、陸海軍裁判局頭取 剣術:天然理心流剣術 墓所:日野市石田寺、東京都北区寿徳寺、東京都荒川区円通寺 | ||
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平間 重助 ひらま じゅうすけ (1824-1874) 水戸藩 | 粛清を回避し逐電した芹沢の片腕 変名:− 主な役職:新撰組副長助勤、新選組勘定方 剣術:神道無念流剣術 墓所:不明 | ||
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平山 五郎 ひらやま ごろう (1829-1863) 水戸藩 | 芹沢と共に粛清された芹沢の片腕 変名:− 主な役職:新撰組副長助勤 剣術:神道無念流剣術 墓所:京都市中京区壬生寺 | ||
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ま行 |
松原 忠司 まつばら ちゅうじ (1835-1865) 新撰組 | 謎の死を遂げた四番隊組長 天保6年、小野藩士の子として生まれる。安政の頃に脱藩。その後は大坂で関口流柔術の道場を開いていたと言われる。文久3年、新選組の前身である壬生浪士組に入隊。八月十八日の政変では仙洞御所前、及び禁裏御所南門の警備を担当したが、その時の風貌は坊主頭に白い鉢巻を巻き、脇には大薙刀を携えるという異様なもので、今弁慶の異名を持った。元治元年の池田屋事件では土方歳三の隊に属し、戦功を挙げ報奨金15両を賜る。こうした活躍もあり、慶応元年の組織再編で四番組組長、柔術師範となる。慶応元年に死去。新選組の記録では病死とされているが、その死については諸説あるが、何らかの理由で切腹したが未遂に終わり、平隊士に降格されたという点は多くの説に共通する。松原の墓に身元不明の女性の骨が一緒に埋葬されていることがわかっており、心中事件を起こした可能性が指摘されている。 変名:− 主な役職:新撰組四番隊組長 剣術:関口流柔術 墓所:京都市下京区光緑寺 | ||
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松本 捨助 まつもと すてすけ (1845-1918) 新撰組 | 長男ながら新撰組に入隊した近藤道場の門人 変名:− 主な役職:− 剣術:天然理心流剣術 墓所:東京都府中市本宿共同墓地 | ||
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三浦 啓之助 みうら けいのすけ (1848-1877) 新撰組 | 父の七光りで粗暴を働いた佐久間象山の息子 変名:佐久間恪二郎、佐久間恪 主な役職:− 剣術:− 墓所:愛媛県和気郡鷺谷共同墓地、 | ||
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御倉 伊勢武 みくら いせたけ (?-1863) 新撰組 | 間者として入隊し惨殺された隊士 文久3年頃、新撰組に入隊。桂小五郎の命を受け、荒木田左馬之助、越後三郎、松井竜三郎と共に入隊し、国事探偵方を務めた。屯所で結髪中、永倉新八、斎藤一、林信太郎に惨殺された。 変名:− 主な役職:新撰組国事探偵方 剣術:− 墓所:不明 | ||
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三品 仲治 みしな ちゅうじ (生没年不明) 新撰組 | 行方不明の新撰組隊士 変名:三品仲司 主な役職:− 剣術:− 墓所:不明 | ||
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宮川 信吉 みやがわ のぶきち (1843-1868) 新撰組 | 襲撃されて戦死した新撰組隊士 変名:宮川頼温 主な役職:− 剣術:天然理心流剣術 墓所:京都市中京区壬生寺、東京都三鷹竜源寺 | ||
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三好 胖 みよし ゆたか (1852-1868) 唐津藩 新撰組 | 蝦夷で戦死した唐津藩主の子 変名:小笠原胖之助 主な役職:新撰組差図役 剣術:四天流剣術 墓所:唐津市西寺町近松寺 | ||
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や行 |
山崎 烝 やまざき すすむ (1833-1868) 新撰組 | 新撰組の医師も務め隊士からも慕われた好人物 変名:− 主な役職:新撰組諸士調役兼監察 剣術:香取流棒術 墓所:不明 | ||
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山南 敬助 やまなみ けいすけ (1833-1865) 新撰組 | 脱走し切腹させられた新撰組総長 変名:山南知信、三南三郎 主な役職:新撰組副長、新撰組総長 剣術:小野派一刀流剣術、北辰一刀流剣術、天然理心流剣術 墓所:京都市下京区光緑寺 | ||
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横倉 甚五郎 よこくら じんごろう (1834-1874) 新撰組 | 獄死した伊東甲子太郎暗殺の実行犯 変名:− 主な役職:新撰組伍長 剣術:天然理心流剣術 墓所:東京都八王子市大法寺まや霊園 | ||
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吉田 俊太郎 よしだ しゅんたろう (1849-?) 新撰組 | 消息不明の新撰組隊士 変名:− 主な役職:− 剣術:− 墓所:不明 | ||
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ら行 |
わ行 |
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