北海道・東北の諸藩


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会津藩
 親藩
保科松平家 23万石+南山御蔵入領5万5千石
会津若松城(鶴ヶ城(地図A))
陸奥国会津郡を領有する親藩で、徳川秀忠の四男保科正之を祖とする会津松平家が治めた。南山御蔵入領5万石も預かり地として任され、実収入は御三家をも上回るとされる。文久2年、第9代藩主松平容保は京都守護職となり京都の治安を守るが、このことにより将軍家、庄内藩と共に賊軍となってしまう。鶴ヶ城に篭城して戦うが、約1ヶ月後に降伏。家老の萱野権兵衛が責任を取って切腹となった。明治2年に家名存続が許され、斗南藩を立藩した。
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ブログ記事→青森県むつ市 斗南藩関連史跡123


松前藩 外様
松前家 1万石格
 松前城(地図B)
渡島国津軽郡を領有した外様藩。戦国時代より蝦夷地を支配していた松前家が治めた。当時の北海道は、米ができず松前家は無高の大名であり1万石の格があるだけであった。蝦夷地一円の支配を戻されていたが、日米和親条約によって箱館が開港されると、渡島半島南西部のみの支配に制限される。第12代藩主松前崇広は、寺社奉行、陸軍兼海軍総裁を歴任。将軍徳川家茂の側近を務めた。明治元年、榎本武揚ら旧幕府軍の侵攻により落城した。


弘前藩 外様
津軽家 10万石
 弘前城(地図C)
支藩
黒石藩 津軽家 1万石 黒石陣屋(地図D)
陸奥国津軽郡を領有した外様藩。戦国末期に南部家の家臣から独立した津軽家が治めた。元は主家であった盛岡藩南部家との遺恨は、幕末まで続く。奥羽越列藩同盟に参加するが、後に脱退した。近隣の盛岡藩は、秋田戦争に敗れてすでに降服していた。しかし弘前藩は、支藩の黒石藩兵と共に盛岡に侵攻。野辺地戦争と呼ばれる局地戦になるが、撃退される。この戦闘は新政府軍によって、両藩の私闘と判断された。


八戸藩 外様
南部家 2万石
 八戸城(地図E)
陸奥国三戸郡八戸を領有した外様藩。幕府の命により盛岡藩から分割されて立藩。その成立背景から、盛岡藩の支藩と思われがちであるが、独立した藩である。奥羽越列藩同盟に加入はしていたが、戦闘に参加することは無かった。新政府軍に降伏後、弘前藩の侵攻を受けるが、盛岡藩兵と共に撃退した(野辺地戦争)。
ブログ記事→青森県八戸市 八戸城跡


盛岡藩 外様
南部家 20万石
 盛岡城(地図F)
支藩
七戸藩 南部家 1万1000石 七戸陣屋(地図G)
陸奧国北部諸郡を領有した外様藩。甲斐源氏の流れを汲む名門南部家が治めた。佐幕か勤皇か藩論のまとまらぬ状況であったが、家老楢山佐渡の主導により奥羽越列藩同盟に参加。新政府側についた久保田藩に攻め込み、一時は大館城を占領するが、佐賀藩兵ら新政府軍の援軍を得た久保田藩兵の総攻撃により降服した。しかし隣国の弘前藩が、突如侵攻してきた。しかし侵攻を予測していた盛岡、八戸両藩は備えていた藩兵でこれを撃退した。


久保田藩 外様
佐竹家 20万5000石
 久保田城(地図H)
支藩
岩崎藩 佐竹家 2万石 岩崎陣屋(地図I)
出羽国一円を領有した外様藩。室町時代以来の常陸守護の家柄である佐竹家が支配した。当初は奥羽越列藩同盟に参加していたが、仙台藩の使者を斬ったうえ新政府側に寝返る。これにより、庄内藩、盛岡藩、仙台藩などの攻撃を受けるが、佐賀藩兵ら新政府軍の援軍を得て秋田戦争を勝利した。久保田藩は、一国一城の例外として、幕府より横手城と大館城の2城の存続を許されていたが、両城とも秋田戦争の激戦により落城している。


亀田藩 外様
岩城家 2万石
 亀田城(地図J)
出羽国の一部を領有した外様藩。常陸平氏の流れを汲む岩城家が支配した。奥羽越列藩同盟に参加していたが、久保田藩の呼びかけで同盟を脱退。しかし庄内藩兵に敗れた新政府軍が亀田藩を見捨てたため、庄内藩の説得に応じて降服。奥羽越列藩同盟に再加入して新政府軍と戦うが、援軍を得た新政府軍に敗れて再度降服した。


本庄藩 外様
六郷家 2万石
 本庄城(地図K)
出羽国由利郡を領有した外様藩。出羽国山本郡六郷を支配する国人領主であった六郷家が支配した。奥羽越列藩同盟に参加していたが、久保田藩の呼びかけで同盟を脱退。庄内藩の猛攻を受けて、本荘城は落城。藩主以下本庄藩兵は久保田藩に退却し、新政府軍の援軍を待って本庄城を奪還した。


庄内藩 譜代
酒井家 17万石
 鶴ヶ岡城(地図L)
支藩
出羽松山藩 酒井家 2万5000石 松山城(地図M)
出羽国田川郡庄内周辺を領有した譜代藩。徳川四天王の一人酒井忠次の嫡流、左衛門尉酒井家が支配した。第11代藩主酒井忠篤は、江戸市中取締役に任じられ、江戸の不逞浪士の取締を行う。戊辰戦争では、佐幕藩の雄として奥羽越列藩同盟の一翼を担った。スナイドル銃などの最新兵器を用いて、新政府軍に与した久保田藩や新庄藩等の近隣諸藩を撃破した。米沢藩や会津藩など同盟諸藩が次々と降伏する中、最後まで戦い続け、降服するまで自領に新政府軍の侵入を許さなかった。


新庄藩 外様
戸沢家 6万8000石
 新庄城(地図N)
出羽国最上郡全域を領有した外様藩。出羽の名門戸沢家が支配した。奥羽鎮撫軍と共に庄内藩に攻め込むが撃退される。その後、奥羽越列藩同盟に加入し、庄内藩と共に新政府軍を圧倒するが、久保田藩の寝返りに呼応して同盟から離脱。これに激怒した庄内藩は新庄藩を攻撃、新庄城は攻め落とされた。


天童藩 外様
織田家 2万石
 天童陣屋(地図O)
出羽国村山郡天童周辺を領有した外様藩。織田信雄の流れを汲む織田家が支配した。戊辰戦争では、新政府軍に奥州の道案内役を命じられ、新政府軍の一員として庄内藩と戦うが、大敗を喫す。奥羽越列藩同盟が結成されるとこれに参加し、新政府側に立った久保田藩などへの攻撃に参加した。


山形藩 譜代
水野家 5万石
 山形城(地図P)
出羽国村山郡山形周辺を領有した譜代藩。幕府の重職から失脚した幕閣の左遷地として、親藩や譜代の大名が頻繁に入れ替わり、幕末には水野家が支配した。水野家は、天保の改革に失敗した水野忠邦が失脚したことによっての国替であった。藩主、前藩主が上洛している間に奥羽越列藩同盟に加入し、新政府軍と戦った。


上山藩 譜代
藤井松平家 3万石
 上山城(地図Q)
出羽国村山郡上山周辺を領有した譜代藩。藤井松平家が支配した。北は山形、南は米沢に隣接する羽州街道の要衝で、温泉宿場町としても古くから繁栄を遂げていた。幕末には大坂警備や江戸市中警備に出兵し、幕府に重用された。薩摩藩による浪士を使った江戸市中の相次ぐ放火に対して、報復として庄内藩や鯖江藩と共に薩摩藩邸を焼き討ちした。奥羽越列藩同盟が結成されるとこれに参加。秋田戦争や北越戦争に軍を派遣した。米沢藩が降服に伴い兵を引き降服した。


仙台藩 外様
伊達家 62万5000石
 仙台城(地図R)
支藩

一関藩 田村家 3万石
 一関陣屋(地図S)
陸奥国全域を領有した外様藩。伊達政宗を祖とする伊達宗家が支配した。仙台藩は、奥羽鎮撫総督府に対して会津藩、庄内藩の赦免を懇願したが、奥羽鎮撫総督府下参謀世良修蔵によって拒否されると、藩士らは世良を殺害。奥羽越列藩同盟を結成して盟主となる。秋田戦争、会津戦争等各地に兵を派遣した。旗巻峠の戦いを経て領内に新政府軍の侵入を許すと、分家筋の宇和島藩の仲介で降服した。しかし、無傷であった星恂太郎率いる洋式精鋭部隊の額兵隊は、降伏を潔しとせず箱館の旧幕府勢力と合流。箱館戦争に参加した。


米沢藩 外様
上杉家 19万石
 米沢城(地図T)
支藩

米沢新田藩 上杉家 1万石
 米沢城内(地図U)
出羽国置賜郡を領有した外様藩。越後の雄上杉家が関ヶ原の戦い後に減移封され、米沢藩を立藩した。120万石の大藩から30万石に厳封されたため、膨大な家臣団を養うことができず、財政は逼迫。また、第3代藩主上杉綱勝が嫡子も養子も無いままに急死したために減封される。第9代藩主上杉鷹山の登場まで、財政は破産寸前であった。幕末は佐幕派として京都の警衛にあたった。戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟に加盟。北越方面に兵を出したが、敗北を重ねて降服した。その後は官軍の一員として庄内藩などに出兵。会津藩にも恭順を諭した。


福島藩 譜代
板倉家 3万石
 福島城(地図V)
陸奥国南部を領有した譜代藩。重昌流板倉家が支配した。佐幕藩として江戸市中取締を命ぜられる。大政奉還に際しては、新政府に恭順の姿勢を示したが、奥羽越列藩同盟の結成にともないそれに参加。新政府軍を迎え撃ったが、二本松城の落城を期に降服した。


相馬中村藩 譜代
相馬家 6万石
 中村城(地図W)
陸奥国標葉郡や宇多郡を領有した譜代藩。相馬家が支配した。奥羽越列藩同盟に参加し、浜街道を北上してきた新政府軍を迎え撃った。形勢が不利になると、同盟から離脱し降伏。中村城には奥羽鎮撫総督四条隆謌が入り、新政府軍の拠点となった。


二本松藩 外様
丹羽家 10万石
 霞ヶ城(二本松城(地図X))
陸奥国南部を領有した外様藩。丹羽長秀の嫡流である丹羽家が支配した。忠君愛国の教育が家臣団に深く根づいていたが、軍制の近代化に乗り遅れていた。第10代藩主丹羽長国は、病弱で、実質的に藩政を差配していた家老丹羽一学の主導の下、奥羽越列藩同盟に参加。重要拠点である白河城の攻防戦に兵を派遣したが敗北。新政府軍により霞ヶ城は包囲され、丹羽一学以下重臣7名は自刃。城は炎に包まれた。城外では12歳から17歳の年少の若者達で構成された二本松少年隊が、指揮官を失いその多くが戦死した。
ブログ記事→福島県二本松市 霞ヶ城


三春藩 外様
秋田家 5万石
 三春城(地図Y)
磐城国田村郡を領有した外様藩。安倍貞任の後裔を称する秋田家が支配した。新政府軍に恭順の姿勢を示していたが、奥羽越列藩同盟が結成されるとこれに参加する。棚倉城陥落と、仙台藩の棚倉藩放棄、平潟への新政府軍の上陸により、奥羽越列藩同盟に反旗を翻した。戦後、この裏切り行為が非難され、長く汚名を着る事となる。
ブログ記事→
福島県三春町 三春城


棚倉藩 譜代
阿部家 10万石
 棚倉城(地図Z)
磐城国白河郡周辺を領有した譜代藩。忠秋系阿部家が支配した。奥羽越列藩同盟が結成されるとこれに参加。白河口で会津兵や二本松兵と共に、新政府軍と戦った。平潟に新政府軍の増援が上陸したことをきっかけに、板垣退助率いる白河城駐屯の新政府軍は、棚倉城に攻め込んだが、仙台藩は白河城攻略を優先し、棚倉城に援軍を送らず、棚倉城はその日のうちに陥落。棚倉藩は降服した。


磐城平藩 譜代
安藤家 4万石
 磐城平城(地図a)
磐城国菊多郡や楢葉郡を領有した譜代藩。代々幕政に関わった安藤家が支配した。第5代藩主安藤信正は、桜田門外の変の後、老中として幕政を主導。坂下門外の変で失脚し、隠居処分に処された。奥羽越列藩同盟に加入して新政府軍と戦うが、磐城平城攻防戦で敗北。磐城平城は焼失した。


湯長谷藩 譜代
内藤家 1万5000石
 湯長谷陣屋(地図b)
磐城国磐前郡の一部を領有した譜代藩。内藤家が支配した。新政府軍より会津攻撃支援の命令を受けるが、奥羽越列藩同盟に参加して新政府軍に反目。第13代藩主内藤政養は12歳ながら、自ら戦陣に立ったという。しかし新政府軍の攻撃により湯長谷陣屋が攻略され、政養は仙台城下に避難した。藩内の白水村から石炭が発見され、後に湯長谷は常磐炭田の一大産業地になった。


泉藩 譜代
本多家 2万石
 陣屋(地図c)
磐城国菊多郡を領有した譜代藩。本多家が支配した。歴代藩主は幕政に関与し、戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に加盟する。しかし新政府軍の攻撃により泉陣屋が攻略され、第6代藩主本多忠紀は仙台城下に避難した。


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